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9月22日 福島に行ってきました。
2013 / 10 / 06 ( Sun )
 いらんちゃのメンバ―で福島に行ってこられた方からの報告です。
9月22日、早くにと思いつつ被災後2年半が経過してやっと福島を訪ねることができました。南相馬市原町区は次男の連れ合いの実家です。ご両親は原発事故直後、関東に避難しましたが、2週間位で放射線量の高い原町区に帰り生活をしています。次男家族は里帰りをしていません。国道4号線から福島浜通に通じる道路は放射能汚染のため、あちこち通行止めとなっていて、他県の私たちは容易に走れません。ご両親が途中まで迎えに来てくださり、放射能汚染の生々しい現地を案内して頂きました。全村避難の飯館村を東西に走る道路がたった一本あり、たくさんの車が走っていました。
 放射能に汚染された山間地の田畑の表土を除染で剥ぎ取り、詰め込んだ黒いフレコンがブルーシートに覆われていて大量に置かれています。近づいて放射線量を量るとさっと放射能管理区域まで上昇しました。原町区でも除去土壌廃棄物一時保管所が作られていましたが、保管場所を決定するのは困難とのことでした。
 原町区や鹿島区の海岸線は津波に襲われ全てのものが流され、丈高い雑草に覆われ人家があった所とは想像出来ませんでした。海岸線で東北電力原町火力発電所が震災後復旧し稼働していました。小高区は原発から20キロ圏内で全域避難場所で、地震で崩れた家がそのままになっています。JR常磐線小高駅は高校生の通学で利用されていたので自転車置き場には震災当時のまま自転車が放置されていました。相馬市寄りの鹿島区で民宿を営んでいた家を津波で流された方が6月より高台で農家民宿(塔前の家)を再開されていましたのでここに宿泊しました。 
 原発に近い浪江町は今年4月から8時~16時の昼間だけ検問を通って入ることが出来るようになった所です。海水浴場やマリンスポーツセンターや請戸港、請戸小学校がありましたがすべて荒れはて背丈以上に大きくなった雑草が繁る広大な草原に変わり、壊れた車や打ち上げられた漁船が草むらに見え隠れしていました。請戸小学校では卒業式の準備を整えた体育館に踏み込むと、地震で止まったままの時計がぶら下がり、床は大きく壊れ索漠とした情景でした。福島第一原発の排気塔が遠くにみえました。
 浪江町役場やJR浪江駅へは再度検問をされ入りました。駅前の真新しいマンションに人気はなく、新聞販売店には震災翌日の新聞が配る人も読む人もなくそのまま山積みになっていました。町全体すべて廃墟となり捨て去られていました。この情景を見てとても胸が痛みました。このような過酷事故は被害にあった人々の生活や人生までも奪ったのです。このような被害を誰がどのように償うのでしょうか? そんなことはできません。原発が稼働している限り過酷事故は起こります。二度とこんな悲惨な状況は起こしてはならないと強く々思いました。このような状況を見ても何の痛みも感じない人でなしが未だ原発にしがみつき儲けに奔走しています。
 9月16日から日本の原発は一基も稼働していません。このまま廃炉まで闘いを続けることが福島の人々が背負わされた重荷を共に背負う事になるのではないかと思います。出来るだけ多くの国民が力を合わせて最後まで闘い続けましょう。
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